平安時代からのフィラリアとの長い歴史
蚊が運ぶ感染症
ここでは蚊が運ぶ感染症を解説します。
(1) 70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱
(2) 昭和に流行した日本脳炎
(3) クレオパトラも平清盛も苦しんだマラリア
(4) 平安時代から流行があったフィラリア
(5) 感染症を媒介する蚊たちの、それぞれの戦略:蚊の栄枯盛衰
蚊が媒介する感染症いろいろ/西郷隆盛とフィラリア/戦後の混乱と衛生環境の向上/フィラリアの生活史/蚊の時間に合わせるフィラリア/近隣諸国とフィラリア/
WHOによる制圧プログラム/媒介蚊アカイエカ/蚊帳と網戸
犬の病気と思われがちですが、ヒトではすでに平安時代から流行がありました。
犬や猫を飼うと、動物病院でフィラリアの薬や予防接種の案内があります。
しかし、日本では長くこの病に苦しめられてきた歴史があります。
フィラリア症はアカイエカと密接に関係しています。
その前に・・・・蚊が媒介する感染症はたくさんあるのです。
蚊の媒介による感染症はデング熱が大きな話題になりましたが、他にもいくつかあります。
蚊が媒介する感染症には:
微生物学分野のウイルスではフラビウイルス科フラビウイルス属の黄熱、ウェストナイル熱、デング熱、日本脳炎の4種とトガウイルス科アルファウイルス属のチクングニア熱1種の併せて5種のウイルス感染症があります。
70年ぶりに日本国内で確認されたデング熱はヒトスジシマカが媒介します。他にネッタイシマカも媒介しますが、日本には生息していません。
寄生虫学分野の原生動物では赤血球内に寄生する原虫類・プラスモジウム属のマラリア原虫4種(三日熱、四日熱、熱帯熱、卵型)があり、線形動物ではリンパ管に寄生する線虫類・糸状虫科(フィラリアと呼ばれる)に属するバンクロフト糸状虫、マレー糸状虫の2種の併せて6種の寄生虫感染症があげられます。
本項ではデング熱、日本脳炎、マラリア、フィラリアを取り上げました。
西郷隆盛を苦しめたフィラリア症
日本では平安時代の絵巻にフィラリア(糸状虫:しじょうちゅう)症による象皮病(ぞうひびょう)や陰のう水腫(いんのうすいしゅ)と思われる絵図が描かれているので、この時代からすでにフィラリア症は存在していたようで、その後、江戸時代になって日本全土に感染が広がっていったのではないかと思われます。
江戸末期から明治時代に活躍した西郷隆盛がフィラリア症(陰のう水腫)に罹っていたのは有名な話ですが、沖縄・九州などの南西日本に多くの患者が発生していました。日本で見られたリンパ系フィラリア症の多くはバンクロフト糸状虫の感染によるものですが、一部、八丈小島のみに発生していたマレー糸状虫によるものも存在しました。
戦後の混乱から経済の発展、衛生環境の向上
第二次世界大戦後、日本の社会は混乱し、極度の経済的貧困に直面していました。
当時、し尿が肥料として使われていたので、回虫(かいちゅう)、鉤虫(こうちゅう)などの土壌伝播性の寄生虫感染率は国民の70%と高率で、回虫症は国民病とまで呼ばれていました。
また、マラリア、住血吸虫症やフィラリア症も局地的に見られて、国民の健康に大きな影響を与えていました。そこで、国の事業としてフィラリア対策が取り上げられ、流行地域住民に対して集団血液検査(象皮病などへの問診や夜間の耳下採血(*)など)と、スパトニンの集団投薬《1950年(昭和25年)代にフィラリア症特効薬のジエチルカルバマジン Diethylcarbamazine (商品名スパトニン、ヘトラザン)が商品化》が行われた結果、1970年(昭和45年)代には根絶されるに至りました。
(*)夜間の耳下採血はフィラリアを媒介する蚊の行動に関係があります。後述します。
写真:上から
回虫卵(受精卵)
回虫(成虫)
鉤虫(成虫)
バンクロフト糸状虫(フィラリア)とは?フィラリアの生活史
ヒトの体内で成長し、蚊の体内で次のステップ
バンクロフト糸状虫はその名が示すように、成虫は体長5~8cmの糸状をした細長い線虫類で、リンパ系組織に寄生し、4~10年もの長期間生き続けることができます。
成熟した雌成虫の子宮から生み出された卵から鞘をつけたふ化幼虫(ミクロフィラリア microfilaria (mf)と呼ばれています)が出てきますが、このミクロフィラリアはリンパ液の流れに乗って血管に移動します。
このミクロフィラリアは昼間は肺の毛細血管に潜んでいますが、夜の10時を過ぎる頃に末梢血管に現れ、夜が明けると肺に戻ります。
そして夜間、末梢血管に現れたミクロフィラリアは、アカイエカなどの媒介蚊に吸血されると、蚊の体内で第一期幼虫→第二期幼虫→第三期幼虫(長さ1.5mm程度)にまで発育します。
この第三期幼虫はヒトへの感染が可能となりますので、感染型幼虫とも呼ばれています。
一方、ヒト体内では、長期間の寄生でリンパ液の流れが悪くなり、組織液も貯留し、熱発作も起こるようになります。その後、下肢や陰のうなどにむくみが生じてきます。そしてリンパ系組織の障害によって正常な免疫防御機能の一部が失われて、皮膚に細菌感染が生じ、足や手が大きく腫れて表面がざらざらしたいわゆる象皮病になります。
写真上:
血液塗抹標本中にみられるバンクロフト糸状虫のミクロフィラリア
写真下:
血液塗抹標本中にみられるマレー糸状虫のミクロフィラリア
蚊の行動に合せて現れるバンクロフト糸状虫(フィラリア)
リンパ管に寄生している糸状虫の雌虫から生み出されるミクロフィラリアは、主に夜間に末梢血管中に出現し、昼間に現れることはきわめて少ないようです。ところが、昼間吸血性のヤブカ属が蚊媒介の流行地域では、日中、感染者の末梢血液中にミクロフィラリアが現れます。
つまり、糸状虫のミクロフィラリアは昼間、蚊に吸血・摂取してもらうことにより、分布拡大が可能になるのです。しかし、蚊の吸血する時間帯以外はリンパ節に潜伏しています。このような現象をミクロフィラリアの定期出現性 (microfilarial periodicity) と呼んでいます。
バンクロフト糸状虫が異なった流行地域の媒介蚊の行動に合せて末梢血管に出現するタイミングを変えているとは驚くべきことです。
近隣アジア諸国の都市化による衛生環境の悪化と媒介蚊の増加
アジア諸国のリンパ系フィラリア症を媒介する蚊の種類は多く、水田、農村地帯に発生するハマダラカ属の蚊、都市部の汚水地域や衛生環境の悪い地域の下水・トイレなどに発生するイエカ属のネッタイイエカなどの蚊、その他、ヤブカ属、ヌマカ属など広範囲の蚊によって媒介されます。この多種類のリンパ系フィラリア症媒介蚊の存在は厄介な問題の一つといえるでしょう。
また、近隣アジア諸国では、急速な経済発展に伴って都市に人口が集中して、上下水道の設備が間に合わず、水環境が悪化しています。その結果、汚水だまりが増加して、リンパ系フィラリア症の蚊媒介であるネッタイイエカの好発生源となり、フィラリア症の患者が激増しています。
近隣アジア諸国の水道普及率を比べてみますと、カンボジア、ラオスでは30%台と極めて低く、ミャンマー、中国、スリランカ、ベトナムでは70%台でした。
次に下水道普及率をみますと、南アジア(インド、パキスタン、バングラディシュなど)は世界の中で最低レベルの17-18%とほとんど普及していないのが現状のようです。
東南アジア(インドネシア、カンボジア、ミャンマー)でも34-35%と極めて低く、これらの地域における上下水道の整備はあまり進んでおらず、衛生環境の改善が急務となっています。
WHOによる世界リンパ系フィラリア症制圧プログラム
(GPELF:Global Programme to Eliminate Lymphatic Filariasis)
WHOは2020年までに世界からリンパ系フィラリア症をなくすことを目標としてこの制圧プログラムが2000年(平成12年)から始められました。現在までにフィラリア症が蔓延する73か国のうち、53か国で住民の集団薬剤投与(戦後日本では蔓延する回虫、鉤虫などの寄生虫感染者などのために住民を数か所に集めて治療薬剤の集団投与が実施されて寄生虫症が激減しました)を基本とする対策が実施されております。
そして、これまでにエーザイ、グラクソ、スミスクライン、米国メルク社などの製薬会社の協力により、イベルメクチン(※)、ジエチルカルバマジン、アルベンダゾールの3薬剤をおよそ9億人の人々に投与し、2007年(平成19年)には中国、2008年(平成20年)には韓国でそれぞれリンパ系フィラリア症が制圧されました。
※ 今年のノーベル医学生理学賞に寄生虫感染症の治療薬イベルメクチンを開発して、リンパ系フィラリア症、特に アフリカの村の働き手の多くが失明してしまうオンコセルカ症(河川盲目症)の特効 薬として患者の撲滅に多大な貢献をされた日本の大村 智 博士(北里大 特別栄誉 教授)に授与されました。
日本の環境変化がもたらす媒介蚊(主としてアカイエカなど)の発生状況
日本においてはリンパ系フィラリア症のうち、バンクロフト糸状虫では主としてアカイエカなどが媒介し、マレー糸状虫ではトウゴウヤブカが媒介します。
1945年(昭和20年)代~1955年(昭和30年)代にかけては、日本の衛生状態は悪く、赤痢(年間9万人以上の患者が発生していた)などの伝染病(今は感染症と呼ばれています)が流行し、トイレも汲み取り式が普通でした。
そのため、大雨や台風の時に汚物が下水にあふれてしまうほどでした。ちなみに、昭和30年代の水道普及率は30%前後と低く、上下水道の整備が立ち遅れていました。
ちょうどその頃、日本において最も繁栄していた蚊はアカイエカでした。
例えば、1950年(昭和25年)代、バンクロフト糸状虫症の流行地域であった九州地方の長崎や西日本の福井や東京、神奈川などでの蚊の発生状況を調べてみますと、いずれの地域でもアカイエカが最も多く発生していたことがわかります。
当時、アカイエカはヒトの居住地周辺のドブ、汚水溜め、用水桶などに生息し、家の周辺には鶏(特にアカイエカが好む)、豚、牛、馬などが飼育されており、彼らの有機物に富んだ糞尿が滞留した下水ではアカイエカが大量に発生していたのではないでしょうか。
アカイエカは昼間、あまり行動せずに暗い所でじっとしていて、夜間になると家屋内に入り込み、部屋の電気を消して寝ようとした時に、ブーンという耳障りな音をさせながら吸血にやってきます。寿命は約6か月とかなり長い。越冬は成虫で行い、軒下や木々の穴などの中に隠れてじっとしています。また、その昔、アカイエカの多い所では空中で雌雄が群飛して集まる蚊柱がよく見られました。
しかしながら、1965年(昭和40年)代から1975年(昭和50年)代以降、高度経済成長に伴う目覚ましい経済発展とともに、インフラや上下水道などの整備が進み、現在では日本の水道普及率は97.5%、下水道普及率(生活排水処理率)は76.3%にまでなり、水環境は大幅に改善されました。その結果、アカイエカの主な発生源であった汚水域が減少し、その生息数も少なくなってきました。
蚊帳と網戸
日本列島に稲作文化が定着し、水田が各地にできると、夜間、特に水田や沼から発生する蚊に悩まされた人々が多くいたのではないでしょうか。平安時代の絵巻に蚊帳の中で寝ている身分の高い人が描かれていますので、古くから蚊帳が使われていたと思われます。そして、江戸時代になると、蚊帳は町中に普及し、日本の夏の寝苦しい夜は窓を開放して蚊帳を吊り、蚊からの吸血を避けて過ごしていました。
ところで、蚊帳は紀元前5世紀頃のエジプトでは漁網を蚊帳として使っていましたし、古代ギリシャでもすでにテント状の覆いを作って天井から吊下げて日常的に使っていたようです。一方、19世紀になると、米国では網戸を使うことがマラリアの最大の予防策と言われるようになり、網戸が普及しました。
このように蚊帳と網戸は蚊との接触を絶つのにかなり貢献しました。その後、現代の1970年(昭和45年)代になると、エアコンが普及し、窓が閉められて蚊が全く家屋内に浸入できなくなりました。このため、アカイエカやコガタアカイエカ、シナハマダラカなどの屋内吸血性で夜間吸血性の習性を持っている蚊たちが媒介する感染症は減少していく傾向にあると思われます。
デング熱/ 日本脳炎/ マラリア/ フィラリア/ 蚊の栄枯盛衰
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